幸せなんて探さなくていい?いや、私は貪欲に求めますけどね。

幸せの形は人それぞれです。 これに関しては、誰も異論はないでしょう。

私が考える幸せの定義は、極めてシンプルです。 欲しい物でも、やりたい体験でも、なんでもいい。「これやりたい!」「あれが欲しい!」と目標を決め、それに向かって行動し、手に入れる。その満足感を得たら、またすぐに「次はあれだ!」と新しい目標を決める。

幸せとは?
このプロセスの全てが、私にとっての幸せです。 目標を達成した時の「喜び」も、そこに至るまでの「楽しみ」も、手に入れた後の「満足」も、これら全ての感情を私は「幸せ」だと感じて生きています。

もちろん、これが唯一の正解だなんて思っていません。あくまで「私はこうだ」というだけの話です。 全ての人が、私のようにガツガツと幸せを求めるべきだとも思いません。

ただ、これだけは真実です。 幸せの多くは、行動した後にやってくるものです。喜びもあれば、時には悲しみもあるでしょう。でも、何も求めず、何も行動しなければ、当然ですが「何も得られない」のです。 「何もなくていい」というのなら、幸せなんて求めなくていいと思います。

「幸せにならなくていい」という不思議な論調

さて、世の中には「幸せにならなくていい」「幸せを求めるな」という考え方が色々あります。 これらを調べてみると、大きく分けて2通りのパターンがあることに気づきます。
幸せにならなくていい

一つは、単に**「幸せという言葉の定義を変えているだけのもの」**。 「快楽(Happiness)ではなく、納得(Meaning)を求めよ」といった主張ですが、私からすれば「納得できる人生」も十分に幸せの一種なので、結局言っていることは同じです。これは言葉遊びに近いので置いておきます。

問題はもう一つ、「幸せになること自体に否定的なもの」です。 古今の哲学者や心理学の理論を色々調べましたが、言っている理屈はなんとなく分かりました。 しかし、結論から言うと全く共感できませんでした(笑)。

なぜなら、どの理論も私には**「やらないことを正当化している言い訳」**にしか聞こえなかったからです。 参考までに、私が「ふーん、なるほどね(共感はしないけど)」と感じた、代表的な「幸せ否定論」の概要をまとめておきます。


【参考】世の中にある「幸せを求めなくていい」理論の概要

私が調べた限り、幸せを求めることを否定する理論は、主に以下の3つのパターンに分類されます。

1. 「幸せを求めるのは『レベルが低い』」という考え方(ニーチェ、カント等) 「安らぎや幸せを求めるなんて、動物的で低俗だ」というスパルタな意見です。 彼らに言わせれば、人間は「幸せ」なんかのために生きるのではなく、もっと高尚な「成長」や「義務」、「困難の克服」のために生きるべきだそうです。(結局それも、私が考える『幸せ』の一種だと思うのですが、彼らは「幸せ=安楽」と定義して否定しているようです)

2. 「幸せなんて『幻』だから諦めろ」という考え方(ショーペンハウアー、フロイト等) 「この世は苦しみでできているから、幸せなんて存在しない」という絶望的な意見です。 何かを手に入れてもすぐに飽きるし、手に入らなければ苦しい。人生はどう転んでも「苦痛」か「退屈」しかないのだから、プラスの幸せを追いかけるのは無駄な努力だ、という主張です。 (次から次へと楽しいことを見つける私にとっては、全く当てはまらない理屈です)

3. 「脳の仕組み的に『コスパが悪い』」という考え方(進化心理学等) 「幸せという感情は長続きしないようにできている」という科学的な見解です。 人間は生存のために「常に不安を感じる」ように設計されており、幸せを感じてもすぐに慣れてしまう(ヘドニック・トレッドミル)。だから、すぐに消えてしまう感情を追い求めて走り続けるのは徒労である、という考え方です。 (私からすれば、慣れるなら、また新しい目標を探せばいいだけだと思うのですが…)
3つのパターンに


誤解しないでほしい「本物の少数派」の話

ここまで否定的なことを書きましたが、誤解のないように補足しておきます。 私は「全ての人間が、夢や欲望を持ってギラギラすべきだ」なんて暴論を吐くつもりはありません。

世の中には、本心から「変化」や「刺激」を必要としない人たちが確かに存在します。 生物学的に脳の作りが違っていて、縁側でお茶を飲むような静けさにこそ最大の幸福を感じるタイプの人たちです。彼らにとって、私のような生き方はただの「騒音」であり「苦痛」でしょう。

彼らが言う「幸せにならなくていい(平穏でいい)」という言葉には、嘘も偽りもありません。それはそれで、一つの完成された幸せの形であり、私はその生き方を尊重します。

私が問題にしているのは、そうではない「大半の人たち」です。

「幸せにならなくていい」は、諦めるための鎮痛剤か?

世の中には、歌の歌詞や宗教的な教えとして「幸せにならなくていい」「そのままでいい」という言葉が溢れています。 これらは、辛い現実から一時的に身を守るための**「鎮痛剤」**としては優秀でしょう。

もし、あなたが先ほど述べた少数派のように、本心から「今のままで最高だ」と思い、その言葉を噛み締めているなら、それは素晴らしいことです。 他人がとやかく言うことではありません。そのまま、平穏な人生を全うしてください。

ただし、一つだけ条件があります。

その代わり、汗水を流してリスクを取り、何かを手に入れた人を見て、 「あいつらはガツガツしてて卑しい」とか「リア充アピールうざい」とか、文句を言うのはナシです。

当然ですよね? あなたは「戦わないこと」を選び、彼らは「戦うこと」を選んだ。 あなたは「安息」を手に入れ、彼らは「戦利品」を手に入れた。

それだけの話です。 自分が選ばなかった道を歩く人を羨んだり、引きずり下ろそうとするのは、「本当は今の自分に満足していない」という証拠です。

「幸せにならなくていい」という言葉を、 自分の人生を肯定するために使うならいいですが、 「動かない自分」を正当化し、他人を攻撃するために使っているなら、それはただの「嘘」です。

私は嘘をついて自分を慰めるくらいなら、傷だらけになっても欲しいものに手を伸ばします。 あなたは、どちらを選びますか?

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